徒然に 291
今朝早くには吐く息は白かったけれど路面はコンクリートだったのに、いつのまにか雪が降りはじめあっという間に雪に覆われてしまいました。一瞬にして世界がかわる、魔法のような12月です。
上映が終了したときにこんなに力強い拍手をいただいて、監督もですが私たちもすごく嬉しかった。
「1999年全国で上映された『白痴』は昨年20年を迎え、あらためてこの世界を...
、今だからこそ伝わるのではと思い、デジタルリマスター版を作りました。
21年ぶりにキノに帰ってきて、皆さんに、いま、見ていただきました。
30年前、28歳のとき、自分が作るべき映画を見失ったときでした。
そんなときに坂口安吾の「堕落論」を読み面白いと思い、
その後40ページの短編「白痴」を読んだのです。
読みながらイメージが湧いてきて、自分の頭の中にできたイメージを形にしたい、
自分が作りたかったものが見えてきて、
空襲のシーンではすでに音楽が湧いてきて・・
でもこれを作るのは無理だろう、
無理でも作りたい。
自分の頭の中に見えた空襲シーン
それには実際のまちを作ることから始まる
そして燃やす・・・
自問しました。自分の一生の中でどのくらいかけられるのだろう、
10年― と思った。
そして10年かけて完成しました。私は38歳になりました。
10年かかった内容になったと思います。
クライマックスの炎上シーンは東京では無理、新潟市内の一画を借りて
行われました。
新潟で許可を得るのに5年かかりました。
この映画の企画から完成までにプロデューサーは10人変わりました。」
手塚眞監督は何事でもなかったようにサラッとお話されるのですが、この映画を観た後の私たちには、その当時、このクライマックスを思い描いたように完成させるのは
本当に多大な困難の連続だったと思います。
それでも完成させた、
「20年前、日本はまだ平和だった。
『白痴』は映画の仕掛けとしては大きな評価をいただいたが、内容については よくわからない、と言われることが多かった。
しかしその後、世界ではテロが起き、震災、東日本大震災が起き、今世界中が抱えているコロナの問題・・不安を抱える毎日を送っている私たちだからこそ、
現代のほうが通じる映画だと思った。
私はビジュアリストと言っています。
なにかに出会ったことで触発され、そのイメージしたものが溢れ出し、かたちをつくりはじめる。
個人の想いでつくり
個人の想いで見せてゆく。
20周年記念「白痴」はひとりミニシアター応援企画です。
ミニシアターこそが現代の映画文化の中心」と。
「白痴」は全国各地のミニシアターで上映され、手塚監督は様々な地へとでかけています。
今年の最後は札幌のあとの大阪へ。
サイン会では皆さんお一人お一人が監督とお話をされていて、監督もお客様もとても嬉しそう。
「いい夜をいただきました」
★「白痴」デジタルリマスター版 12月18日までの上映です。
監督は今、縄文文化に大きな興味があって、その流れでアイヌ文化にも興味が出てきているとのこと。翌日にはキノで「アイヌモシリ」をご覧になって
「また今度」とおっしゃって帰っていかれました