明治35年当時、月寒に陸軍歩兵第25連隊という道内最大の部隊が置かれており、その連隊に日用品を販売する「大原屋本間商店」を開店したのが、現在の「株式会社ほんま」のはじまり。
元々あんぱんは明治7年に東京で銀座木村屋の木村安兵衛さんが生み出したもの。
明治天皇にも献上されるなど、大ヒットしたとの噂を聞いて、連隊内で菓子を販売していた大沼甚三郎さんが、(おそらく現物は見ずに)想像しながら月餅のような饅頭を作り上げた。
これが「月寒あんぱん」の原型となった。
この製法を教わったのが、同社の創業者、本間与三郎。
与三郎は妻とともに連隊内で販売。
甘いものが貴重だった当時に、黒糖で練り上げた「あん」がたっぷりと入った「月寒あんぱん」は兵隊さん達を中心に大ブレイクしたそう。
現在は老若男女問わず、高い人気を誇り、全国区の名菓となった。
時は流れて明治44年、第25連隊と住民が協力して平岸から月寒へと抜ける道を作る際に、当時の豊平町が軍に感謝のしるしとして、一人につき毎日5個のあんぱんを提供。
あんぱんを頬張りながら作られた道路なのでアンパン道路と呼ばれるようになった、というのが、この道路の由来。
この当時は連隊の正門前には7軒ものあんぱん屋さんが並んでいたが、戦中、戦後の混乱の中で次々と姿を消してゆき、再開を果たしたのは「ほんま」だけだったという。
現在の「月寒あんぱん」は、時代に合わせて甘みを抑えるなどの工夫を凝らし、若干の改良を施したものの、ほぼ当時と同じ姿で今に至るのです。
ここの工場で作られている商品は、伝統の「月寒あんぱん」のほか、ドーナツや手作りの和菓子など多岐に渡り、その中でも特に紹介したいのは、「月寒あんぱん」と「玉ドーナツ」。
最初にあんと生地をそれぞれ独自のレシピで作った後に機械にセットし、形が作られる。
出来たばかりのあんぱんはまるで饅頭のようで、見慣れた平べったい形とは程遠い。
これをきれいに成形して、形はほぼ出来上がり。
さらに溶いた卵を塗り、オーブンへ入れる。
220℃-230℃とかなりの高温で12-13分焼き上げて完成。
その後にパッケージング。
異常はないか、混入はないか、職人の手でひとつひとつ丁寧に確かめながら行ってゆく。
そして金属探知機で調べてから、包装、箱詰めを行って出来上がり。
同社の工場では、機械を使っても、決して人間の作業をゼロにすることはないとか。
というのも、応用力が利かない機械よりも、人間による判断で作業を進めないと完成度の高い商品を作ることは出来ないという考えから。
機械だけではなく、人間の目でも厳しくチェックしているから安心。

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